瑠璃さまイラストへの挿話

within range


「これから、大宗伯と茶話会のご予定だったのをお忘れですか?」
「……覚えていたから、元通りにしようとしているのだが」

こののち立て続けに予定されている祭礼用の六服の衣装合わせを茶話会と同じ日に予定させたのは、陽子だった。髪を結いあげる手間が一度で済むから、と。女官たちが聞けば、「手間だとは露ほどにも思いませぬ」と否定されるに違いない理由を挙げた。

そうであったのに、衣装係の春官たちから解放されるとすぐにひとりで庭院へ向かい、路亭に身を潜めると、首筋を擽る房飾りがうるさい歩揺を外してしまった。

髪から抜けた瞬間に、大宗伯の渋面が浮かんだ。朝議での官服には目をつぶってくれているが、主人が仕事着とも言える官服を身に纏って茶話会に臨席することは、彼にとっては体面を傷つけられたと感じるような類のことだろう。外す分には何の苦もなかったのだが、いざつけ直そうとすると、どこに挿してあったのかも自分では分からない。鏡もない路亭ではどうにもできないと、諦めかけたところだった。

方角すら分からなくなるほどの園林の奥、散りそびれたもみじ葉が冴えた青い空に映える。つい先ほどまでみぞれに濡れていた紅色は、主の髪の色そのものだった。

――この寒空にこのようなところにまでいらっしゃるとは。

袖が捲れるのも構わず、あるべきではない場所に挿しこまれた歩揺を探る姿を目にし、景麒は大きなため息をついた。
「……女御をお呼びしましょうか」

露わな腕から目を離し、主楼があるはずの方向へ顔を向けた景麒を陽子は遮った。
「頼むからやめてくれ。またうるさいことを言われるに決まってる」
「お忘れになるからでしょう」
「忘れてない」
「お忘れだったのでしょう?」

再び髪から外した歩揺を手で弄びながら、陽子は景麒を睨んだ。
「……思い出したのだから、今回のことはなかったことにしたい」

随分と都合のよいことを、と呆れて呟く臣に景王が命じた。
「だから景麒、うまく挿してくれ」

返事も待たずに景麒の掌に冷たい感触を持つものが押し付けられた。戸惑う白い手がそれを受け取ると、空色に映えていた色が目の前に迫った。危ういほどの無邪気さを以て。

冬のやわらかな日差しが深い赤色に反射する。きれいに櫛目の通った髪が、触れられることを拒んでいるようで、躊躇いながら飾りを持つ指先を元結近くへ寄せる。

――先ほどまで揺れていたのは、この辺りでだったか。

髪を纏める香油の匂いが漂うほどの近さで、大人しく景麒の手を待っている少女はあまりにも無防備だ。

このまま腕の中に捕えてしまうこともできる――。

常と変らぬ白皙で巡らせる、ささやかなはかりごと。

一筋の髪にも傷をつけたくないと思う一方で、その無邪気さがどれほどの残酷さを秘めているかを知らしめたいとも思う。

「もういい?」

動きの止まった景麒に俯いたままの陽子が声を掛けた。
「動いてもよろしいですよ」

途端、あり得ないほどの近くで翡翠が景麒を見上げる。耳の後ろで揺れる玉よりも鮮やかな色の瞳。
「ありがと。助かった」
「お役に立てて光栄です」

言い終わらぬうちに、伸ばされた腕が僕を引き寄せた。



2011.12.19


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